はじめに
久しぶりの更新ですね。
3月・4月は忙しくて更新が滞りがちですね(その前から更新をサボりがちなのは棚に上げる)
本記事は釧路周辺の観光地を訪れた際の備忘メモです。
釧路は過去に何度か訪れており、有名観光地はほぼ回収済みですので、少しマニアックな場所を訪れてみることにしました。訪れるのが2回目、3回目の観光地も今後増えていくのだろうなぁ。
ちなみに釧路の場所はこちらです。
釧路市街からバスで約50分の位置に空港があります。道東を観光する際に便利ですよね(新千歳空港から釧路はなかなか遠いです💦)。
旧岩保木水門
釧路市街から車で約30分北上した位置にあります。周囲は釧路湿原の荒涼とした風景が広がっています。水門自体はほぼ木造で劣化も進んでいましたが趣のある佇まいです。誰もいないだろうと思っていましたが、釣り人が何人かいました。何が釣れるのだろう…?
昭和六年と読めます。
こちらの鉄橋も歴史のある貴重な橋だそうです。(詳細は忘れましたが…)
新しい水門と鉄橋↓
旧水門のすぐ近くに新しい水門がありました。
新しい水門。旧水門と比べると立派です。
荒涼とした釧路湿原の風景が広がっています。
阿寒炭鉱と鉄道館
道の駅阿寒・丹頂の里 のすぐ隣にある鉄道館を訪れよう…と思いましたがあいにく休館でした。
(´・ω・`)
鉄道館の裏には蒸気機関車が置かれていました。
扉が開いていましたので、おっかなびっくり中に入ってみました。
「器類には手を触れないでください。」との注意書きがあり、観光客が中に入ることは想定されているようでした。注意書きに従い、機器には手を触れず写真だけ撮影。
北海道を旅行していると、ちょくちょく蒸気機関車に出くわすような気がします。
根室標津駅跡の機関車と転車台↓
北海道は広い土地が確保しやすく、蒸気機関車を残置できるスペースも取得しやすいのかもしれません。
雄別炭礦歴史資料室
車で釧路空港から約30分、釧路市街から約45分の位置にある、かつて雄別炭鉱で栄えた町を訪れました。炭鉱が閉山してから人口が減少しているようです。炭鉱について知りたいと思い、町の雄別炭礦歴史資料室を訪れました。資料室自体は大きくはありませんが、炭鉱に関する様々な資料が所狭しと並べられており、非常に勉強になりました。好きな人は何時間でも過ごせそうな膨大な資料を見ることができます。(鉄道に関する情報、採掘現場の状況、炭鉱があった頃の町の様子・人々の生活などなど…)
炭鉱があった頃は人口も多く、鉄道が走っていたそうです。炭鉱で栄えた町が閉山後に経済の停滞、人口減少に直面するケースは、よく見られる気がします。
羽幌炭鉱なども似た状況かもしれません。
資料室はコミュニティセンターの中にありました。
コミュニティセンター↓
「消えたマチ」という言葉が心に刺さりました。
開館は平日のみのようです。
雄別炭鉱
炭鉱資料室で情報を得た後、かつて炭鉱で栄えた場所を訪れました。といっても道路から遺構(っぽいもの)を見るだけですが…
解体されず残された煙突など見られるかなと思いましたが、途中で通行止めになっており先に進めず断念。
ガソリンスタンド?
古い橋
大きな石碑がかつてここに炭鉱があったことを示しています。
通行止めになっていました。ここで引き返します。
相生鉄道公園
どこの記事に入れれば良いか分からずここに記します。道の駅あいおいの近くの相生鉄道公園です。ここにはかつての国鉄相生線の北見相生駅だったそうです。当時の(後に復元された?)ホームがありました。またいくつかの列車が残置されていました。中に入ることはできませんでした。
中に入れないためか、周囲に観光客あまりおらず…
うーん、本記事は鉄分多めになってしまった感じがする。
まぁいいや。
おまけ
釧路展望台も再訪しました(が過去記事で既に記しているので今回は割愛)
遠くに釧路の町が(意外と工場が多いのね)
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